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2006年2月 9日 (木)

感謝

 昨日はシンクポートの運営会議。本題も有意義だったが、余談の「原オタク」と「現オタク」の価値観の違いについて論じあったくだりも面白かった。詳細は省くが・・・。久しぶりにこういったことを熱っぽく語り合ううち、暴走気味だった10代の頃のオタクな青春を思い出してちょっとしょっぱい(決して甘酸っぱくはないところがイタい)気分になった。

 一夜明けてネットのニュースサイトをチェックしていると、なんと「伊福部昭氏死去」の報が。昨年「伊福部昭 吹奏楽作品集」のリリース時に「私が自衛隊のために書いた音楽がようやく自衛隊に演奏される」と喜んでおられたのを、何か複雑な気分になりながらも微笑ましく思いつつ、ご健在を喜んだものだが・・・。

  午前中急ぎの納品があったので、むやみに落ち込んでいるわけにもいかず、作業しながら「伊福部昭 管弦楽選集」の「交響譚詩」と「タプカーラ交響曲」を聴く。特に「タプカーラ交響曲」の3番は芥川也寸志指揮による暴力的とも言える迫力の演奏で、「生命力」の音楽化とも思えるこの楽曲の力が横溢している。高ぶりが頂点に達するコーダでは涙がこみあげてきた。

 ゴジラ映画の音楽に胸躍らせた小学生時代、「伊福部昭の世界」に始まる東宝レコードのLPを擦り切れるほど聴きまくった中高生時代、初のデジタル録音による「SF特撮映画音楽の夕べ」の迫力に息を呑んだ20代から現在に至るまで聴き続けてきた素晴らしい音楽の数々、氏の業績を思うと胸が熱くなる。

 偶然、先だっての日曜日の早朝放送されているTBSラジオの「子供音楽コンクール」で、コンクールに出場した小学生による「交響譚詩」を聴き、なかなか見事な演奏に感心したばかりだった。

 作曲者は没しても、作品はこれから100年、200年と長きに渡って愛され、演奏され続けることだろうし、氏もそれを至上の喜びと感じているに違いない。私としては、ただ感謝するばかり。

2006年2月 4日 (土)

お子様ランチ。

昨日の仕事=街角のゴミ箱、電車、電子ジャー&巨大ロボのラフデザイン、続いて○○○○の3面図。不思議な仕事だなあ、と思う。飽きないはずだ。

 聞けば、若手の方の中には小物のデザインを嫌がる向きがあるそう。面白いのに。
 小は割り箸から大は巨大宇宙船まで色々なものがデザインできるのは楽しみでもある。時に劇中の商品パッケージのデザインがあったりすると、調子に乗って色々画面では解らない遊びを入れたりして楽しむこともある。決して視聴者に解読出来る物ではないけど。

 「ケロロ軍曹」の作業もついに話数が3ケタに突入。自分にとって「クラッシュギア」シリーズを超える長期のおつき合いとなった(まあ88年から続いてるBB戦士は別格として)。スタッフの方々も、家族で楽しめる作品を作ろうという姿勢が好ましく、気持ちよく仕事をさせていただいている。クラッシュギアの時もそうだったが、そうやって出来上がった作品を我が家で家族一同で楽しむひとときは幸せな気分に浸れる。ありがたいことだ。劇場版の公開が待ち遠しい。

 子供向け作品を貶める表現に「お子様ランチ」という言葉がある。だが、これはお子様ランチというものを充分理解していない表現であり、誤用と言って良い。
 本来お子様ランチはレストラン等の調理師達が大人と同じ物を食べられない子供達のためにそれぞれ知恵を絞って考え出すもの、考え出すべきものだ。

 子供が残さず食べきれる量に出来る限りのバラエティと見栄え、栄養バランスに気を遣った料理、子供の目を楽しませるだけでなく安全性にも配慮した食器、お楽しみのデザート、時にはおまけの玩具・・・他にも考慮すべきことは多く、しかもこれだけ手間をかけた上に採算割れになることが殆どと聞く。

 「お子様ランチ」とはサービス精神の結晶だと私は思う。
 手前勝手な解釈で、自分好みの味付けのものを食べさせていい気になったり、採算ばかり気にしてちゃちなものを作ったり、見てくれやおまけの玩具ばかり喧伝した、料理の中身そっちのけのものを食わせて儲けようという姿勢はプロの調理師として恥ずべき事ではないか。

 「お子様ランチ」を作ることが恥ずべき事なのではない。「子供だましのお子様ランチ」を作ることが恥ずべき事なのだ。自戒も込めて。

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