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2010年12月18日 (土)

最近思ったこと。

先日、今回の都条例改正案に関して考えていたとき、ふと気がついてゾッとしたことがある。

この件について発言したくても恐ろしくて出来ない人たちが多分大勢いるのではないか、ということだ。

想像してみて欲しい。もしあなたが、アニメやマンガに携わる人間でないとしても、何らかの理由で改正案に反対の立場であるとする。そしてあなたには法に定める「児童」の範疇の子供がいる。

ある日あなたは子供のPTAや父母会などの保護者集会に参加する。そこで改正案についての話題が出た。ほかの親御さんからは「改正案は当然だ」「子供の手の届く場所に幼児を強姦するマンガが並べて置いてあるなどおぞましい」など、事実誤認も含めた意見が飛び交う。

そこで、ある親御さんが、一体どこで聞きつけたのか、「○○さんは今回の改正案には反対だそうですね」と怪訝な表情であなたに水を向ける。全員の目があなたを汚物でも見るような目で注目する。

そのような状況であなたは何ができるだろう。

そういう私はどうかと想像してみても、ただ絶句する自分しか想像できない。付け焼き刃で勉強したことを、もつれる舌で必死に説明したところで、容易に大多数の硬直した思考をほぐせるとは思えない。

私個人の現状として長男はすでに社会人であり、長女は高校3年生でまもなく卒業であるから「児童」の範疇からはずれる頃なのだが、Twitterでもブログでも本名でこういった発言をしている以上、衆目にさらされているわけで、20年以上子供向けの仕事をしている私に対して
「子供向けの仕事で金儲けをしているくせに、子供を守る条例に反対するのか」
という指摘が起きてもおかしくない。しかし、
「あなたはこんな卑猥な行為を描いたものを子供に見せられるのか」と問われれば
「見せるわけがないでしょう」と答える。あたりまえだ。何故ならば親だからだ。
ネットの使用に関しても日頃から細かく、多分子供の立場から言えば口うるさく注意を喚起しているつもりだ。
大事なことは子供が手を出せないように「規制する」事ではなく、手を出さないように親が「躾ける」ことだ。子供が健全に育たなかったとして、その罪は親が負うほか無い。親の責任を度外視して作り手にその罪を負わせようというのは責任転嫁の甚だしい、恥ずべき行為だと思う。ましてや政治にゆだねるなど。これは家庭内の問題なのだ。

「児童福祉」と「表現の自由」の対立という、メディア好みの「対立の図式」は、細部に説明不足や、それによる誤解が入り混じって「児童を守る人々」と「児童虐待を表現の自由と称して金儲けをする人々」という先入観をすり込むのに充分だと思う。
改正案の全文を充分に読み込んだ上での(テレビ番組などの)公正中立な企画や出演者の選択、出演者自身の論理的な整合性を担保した上で議論されていないのは明々白々だからだ。

賛成派・反対派の間で充分な議論が尽くされるまでにはまだまだ長い時間がかかると思われるけれど、そうしたことをせずに性急に改正案を通そうとする背景には何があるのか。そもそもの発端は何なのか。それこそが今最も知りたい部分だ。都の青少年課課長のコメントをラジオで聞いた限りでは、この性急さに職員側も戸惑っているように感じられた。

マンガ・アニメの世界に限らず、子供の文化に関連する人々(当然、私を含めて)は、改めて自分自身の仕事について注意を喚起し、かといって萎縮することなく、苦言には耳を傾け解決策を探る努力を続けていけば良い。
もう昔の話だが、ポケモンのテレビアニメで光過敏性発作の問題があったが、その時点ですでに、いくつかのファミコンソフトの取説には同じ症状に対する注意を促す一文は書かれていた。業界の横の繋がりの弱さを露呈した事件だったが、それを教訓として何が変わったか。

お互い反省するべき所は反省し、問題は充分論議を尽くした上で対処するのが、子供をあずかる大人の仕事だと、当然の事ながら再確認した次第。

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